現代大学生の徒然

自分が経験したことの備忘録です。このブログは全て個人の感想です。

X (Twitter)をやめたら楽になった

中学の時から10年近く続けていたXをやめた。

理由は、TwitterからXに名前が変わったあたりから外国人のスパムが急に増え出してリプ欄がほぼ使い物にならなくなったことと、Twitterを見ることで精神的に消耗しているのを実感することが多くなったから。

 

Twitterに依存していた10代の頃

私は自他共に認めるTwitter中毒、ツイ廃だった。特に高校から大学2年までは、移動中、勉強の合間、トイレ、待ち時間など、日常のいたるところにあるスキマ時間のすべてをTwitterに費やしていたほど依存していた。TLを眺めてフォロワーや有名人の近況を知るだけでなく、自分の心にふと浮かんだどうでもいい感情とかネタツイをしてはいいねをもらうことに喜びを感じていた。高校時代の私の青春は常にTwitterと共にあったし、大学に入学した途端コロナで生活の全てが退屈になっても、Twitterで同級生とつながることで対面が叶わない寂しさは紛れた。あのときは本気で、私はこの先もずっとTwitterを使い続けていくんだと思っていた。テレビや新聞なんかよりもTwitterのほうがよっぽどリアルタイムの情報が早く得られるし、マスメディアとは違い編集や校閲が入っていない「生」の意見のほうがなんなら信憑性があると思っていた

 

Twitterと距離を取ったらいかに情報が偏っていたかわかった

その考えが変わったのは大学3年が終わってカナダに留学したときだった。できるだけ自分の周りの全てを英語環境にしたくて、日本語でつい没頭してしまうTwitterは消そうと思った。アプリだけスマホから削除して、ブラウザからログインする方法に切り替えた

最初の頃はやや不便だった。初めての海外長期生活で、日々感じることは多い。しかしそれを吐き出す手段がない。かつてTwitter中毒だった私にとって、「そのとき頭に浮かんだことをすぐに言語化して吐き出せない」というのは結構なストレスだった。代わりにインスタのストーリーを使ってみたりもしたが、やっぱりTwitterのあの掃き溜め感、記録用としてではなく本当にその場で「つぶやく」だけの感覚が恋しくて、アプリを入れ直そうか何回か考えた。

しかし時が経つにつれて、Twitterにログインする回数は少しずつ減っていった。カナダでの生活がいちばん充実していた夏は、ほぼTwitterを見ることはなかった。それに伴って、感情をすぐに吐き出せないストレスもなくなっていき、Twitterは月に数回ログインしてフォロワーや日本の近況を確認するだけの手段となった

そしたらだんだん、自分が見ていたTL、そこに流れてくる情報がかなり偏ったものであることが分かり始めてきた。男vs女の終わりなき論争、政治、陰謀論、性犯罪、日本衰退、フェミニズム、経済格差、貧困、学歴、整形、障害、自虐、マウントの取り合い…… とにかく暗かった。私が関心のあるジャンルでフィルターバブルが形成され、それ関連の情報ばかりが流れてくるようになったころ、フォロワーの日常のつぶやきも好きなアニメの最新情報もそこにはなく、果てしなく繰り返される論争、インプレッション稼ぎのスパム、晒し、デマ、ステマ、炎上…気が滅入るような内容ばかりが流れてきた。人が普段表面に出すことのないどす黒い本音のぶつかり合いと憎悪だけが拡がっていた。しんどかった。しかし自分が興味関心のある分野であることは間違いないので、つい癖でリプ欄を一通り読んでしまう。世の中にはこんなに無知で傲慢な人間がいるのかと、余計に気が滅入る。世の中に絶望したり、ある人々に対して怒りや悲しみを感じたり、日本の将来が不安になったり…負の感情を味わうためだけにTLをスクロールし続けていたように思う

同時期、TwitterがXに改名され、システムも色々と変わった。その結果かどうかは知らないが、バズったツイートのリプ欄に公式マークがついた外国人らしきスパムアカウントが大量発生するようになった。私がかつて読むのを楽しんでいた一般ユーザーの有益なリプ、ユーモアのあるリプは埋もれてほぼ見えなくなった。大量のスパムアカウントからのリプライはでたらめな日本語翻訳やコピペで、処理しきれないツイート主がリプ欄を閉鎖することもしばしばだった。ここで私のTwitterにおける大きな楽しみがなくなった。ますますTwitterを見る意味がわからなくなった

年が明けて帰国まで残り2ヶ月を切ったころ、ふと、もうこんなことはやめようと思った。陰鬱な気持ちにしかならないなら、もうTwitterを見るのはやめよう。偏りすぎた思想を読んで精神を消耗させるのはもう十分だ。2024年はTwitterの論争ではなく、もっと目の前の現実に目を向けよう。楽になりたい。そう思った3分後には、高校から6年間使い続けたアカウントの削除は完了していた。今までしてきた大量のツイートを消すのが寂しいとか、ブクマした有益なツイートがもう見れなくなるのが惜しいとか、そういうことは全く感じなかった

 

今後のTwitterとの付き合い方

今後は大学生活やプライベートで自分が見たい、または必要な情報(専攻分野関連、アニメ、漫画、リア友など)だけをフォローした小さなアカウントのみをブラウザで使い、新たなアカウントは作らない。影響力の大きなツイッタラーやインフルエンサーはフォローしない。アプリも二度とインストールしない。そうやって自分の心の安寧を守っていこうと考えている

ただ、たとえそれがTwitterであったとしても、実際に起こっている社会問題について考えるきっかけになるのはメリットだと思う。元ツイートだけでなく、リプ欄で様々な意見を読んで考えることができるし(私は元ツイートよりもそのリプ欄こそが読む価値のある内容だと思っている)、現実で見聞きしないジャンルの内容であれば尚更勉強になる。ネットリテラシーも磨かれた。いくつもの晒し行為を見てきたので、今の中高生がTikTokで軽々しく顔や制服をアップする行為がどれだけ恐ろしいことかも分かっている。Twitterを使うことが100%マイナスなのではなく、そういう恩恵も得られることは忘れないでおきたい